大モロッコ

大モロッコ
1876年の西サハラ

大モロッコ(アラビア語:المغرب الكبير)は、モロッコの民族統一主義者が掲げる領域である。

現在モロッコ政府はこの主張をしていないが、セウタメリリャスペインの飛地地域(プラサス・デ・ソベラニア)および西サハラの領有は主張している。

歴史

1956年モロッコフランスから独立した。

1958年、前年のイフニ戦争の結果、スペインからジュビー岬(英語版)を獲得した。

1960年モーリタニアがフランスから独立した。 イスティクラル党アラル・アル・ファッシ(英語版)がこれに反対して「完全な解放」を主張した為に、国交を結ぶのに9年もかかった。

1963年アルジェリアのフランスからの独立を受けて、モロッコは南西部のティンドゥフ県ベシャール県に対し、かつてモロッコの主権下にあった領域だとして侵攻した。 同年、アフリカ統一機構が発足した。

1964年砂戦争(英語版)が終結した。 国境は動かず、モロッコはアルジェリアへの領土要求を放棄した。

1969年、大モロッコに含まれるモーリタニアを承認し、国交を結んだ。しかし、西サハラと北岸のプラサス・デ・ソベラニアの領土主張は続けた。

1975年マドリード協定が結ばれ、スペイン領サハラの西半分を獲得した。

1976年、西サハラを領土と主張する亡命政権のサハラ・アラブ民主共和国が発足した。

1984年、西サハラのアフリカ統一機構加盟を受けて、モロッコは脱退した。

2002年、アフリカ統一機構がアフリカ連合に発展解消したが、モロッコは非加盟を続けた。 アフリカの国で非加盟なのはモロッコだけだった。 同年、北岸から250mの位置に浮かぶ無人のスペイン領ペレヒル島を、モロッコが一時的に占領した。 スペインは特殊作戦集団を派遣して奪還した[1]

2016年、西サハラへの領土主張は続けるものの、アフリカ連合への加盟申請を行った[2]

2017年、再加盟が承認された[3]

関連項目

脚注

  1. ^ Linnee, Susan (2002年7月23日). “Spain and Morocco agree to differ over Perejil”. The Independent (London). http://www.independent.co.uk/news/world/europe/spain-and-morocco-agree-to-differ-over-perejil-185424.html 2010年5月22日閲覧。 
  2. ^ “Morocco Asks to Re-join African Union After 4 Decades”. Voice of America. 2016年9月24日閲覧。
  3. ^ モロッコの加盟承認=西サハラ問題で30年超対立-AU 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News - 2017年1月31日