アデル・ド・サヴォワ
アデル・ド・サヴォワ Adèle de Savoie | |
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フランス王妃 | |
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在位 | 1115年 - 1137年 |
出生 | 1092年 サヴォイア伯領、サン=ジャン=ド=モーリエンヌ |
死去 | 1154年11月18日 フランス王国、モンマルトル |
埋葬 | フランス王国、パリ、サン=ピエール・ド・モンマルトル教会 |
結婚 | 1115年8月3日 パリ |
配偶者 | フランス王ルイ6世 |
マチュー1世・ド・モンモランシー | |
子女 | 一覧参照 |
父親 | サヴォイア伯ウンベルト2世 |
母親 | ジゼル・ド・ブルゴーニュ |
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アデル・ド・サヴォワ(Adèle de Savoie, 1092年 - 1154年11月18日)は、フランス王ルイ6世の2番目の王妃。アデル・ド・モーリエンヌ(Adèle de Maurienne)とも呼ばれ、名前はまたアデライード(Adélaïde)、アリックス(Alix)とも呼ばれる。父はサヴォイア伯ウンベルト2世、母はブルゴーニュ伯ギヨーム1世の娘ジゼルで、ローマ教皇カリストゥス2世の姪に当たる。
1137年に次男ルイ7世が即位すると母后として権勢を振るおうとしたが、息子の嫁アリエノール・ダキテーヌと対立、パリの宮廷から出てコンピエーニュの領地に引き籠り、マチュー1世・ド・モンモランシーと再婚した。1144年のサン=ドニ大聖堂献堂式には息子夫婦と共に出席している[2]。
1154年、死去。パリのサン=ピエール・ド・モンマルトル教会(Église Saint-Pierre de Montmartre)に埋葬された。
子女
最初の夫ルイ6世との間に7男2女をもうけた。
- フィリップ(1116年 - 1131年) - 父王在位中に共同王位についた(1129年 - 1131年)。
- ルイ7世(1120年 - 1180年) - フランス王
- アンリ(1121年 - 1175年) - ランス大司教
- ユーグ(1122年頃)
- ロベール(1123年頃 - 1188年) - ドルー伯、ドルー家の祖。
- コンスタンス(1124年頃 - 1176年) - ブローニュ伯ウスタシュ4世と結婚、後にトゥールーズ伯レーモン5世と再婚
- フィリップ(1125年 - 1161年) - パリ司教
- ピエール(1125年頃 - 1183年) - クルトネー領主、クルトネー家の祖。
- 女子(夭逝)
2番目の夫マチュー1世との間に1女をもうけた。
- アデル(生没年不詳)
脚注
参考文献
- 桐生操『王妃アリエノール・ダキテーヌ -リチャード獅子王の母-』新書館、1988年。
- 石井美樹子『王妃エレアノール ふたつの国の王妃となった女』平凡社、1988年。
- レジーヌ・ペルヌー著、福本秀子訳『王妃アリエノール・ダキテーヌ』パピルス、1996年。
- 佐藤賢一『カペー朝 フランス王朝史1』講談社(講談社現代新書)、2009年。
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